numbnessandsuprise

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FROG RIVER

石井克人原案の本作は加瀬亮の初期の作品として長い間記憶の片隅に残ってる映画だ。
悶々とした男子学生の生活が赤裸々に、上品さとユーモアをそえて描かれていて共感脳が揺さぶられる。こういう表現をさも簡単に直球でやってしまうのが潔いね。
ずっと昔から何度でも見れて、とても好きな映画だ。誰でも好きになれる映画。
色々な人や出来事に出会い翻弄されながらも最後には、とても小さい幸せを見つけて、それに気がついている自分と出会う。超えられなかった壁を超える。というか超えてる。とても昔から自分を苛むものを怖し、川を飛び越える。小さな一歩だが大きな前進。情熱的な感情。情熱的な地球。RAMONS+リトルテンポ=「Do you remember Rock'n Roll radio?」


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パビリオン山椒魚

ストーリーを追いかける必要なし。感情移入する必要なし。すぐにテンポがずれて裏切られる。だけど洗練された、計算された誤算。結局残ったものは俳優達の残像と存在感だけだ。物語は手段、NO REASONが目的。それでも映画だけが用うる妖艶な人間の宇宙を濃く深く描き出している。


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幸福の鐘

ラスト5分まで主人公は頑に喋らない。街から外れた完全なる「傍観者」として有象無象の人間の現象を切実に凝視しながら、最後に自分の大切な場所へと帰る。一生の正体を垣間みて、生活のもろさと悲しさをみて、海の大きな穴におちる。その出来事があった場所をなめるように歩き始める。そして最後、走る。そして自分の意味を知る。


詩       ;date yusuke

すべての体温がとても遠くにあると感じるときに
詩は生の声だ

純粋で無意味な自然の発露だ
そしてそこにストーリーは終わるのだ

ほとばしりは消え、憂いも嘆きも
すべてはこの右手の中だ

この僕の目線の中
ただ耳をすまし聞くのだ

君からの君の声
本当の会話 言葉

深い心 弱いこころも
わかってる

伝えたい事を伝えられない事も
わかってる

ただとにかくススムだけなのだ
それ以外にボクらはボクらでありえないのだ

誰にも静かな音は響き
広いはねを持って
その時間に瞬いている

恐れるものは自分であるだけ
そこにすべての記憶が含まれて
ボクらは慈愛という活路に乗る

現実に浮かぶ浮遊のomowakuは
もうこの手を離れて
誰かのもとに届いているようで

イメージは伸び続けて
飾る事も必要なくなるのだ
ただ祈りをもって
君は跳ねろ

うたは流れ
流れたうたは
冷たい風の中で
一人小道をゆく

ときはとけ
とけたときは
わだかまりの中で
君のかたにのる

指をとめて
とめた指は
しびれの中で
どこまでもまわる

すきだすきだ
パーフェクト

スマイル

流れはつづき
つづく流れは
広い生命の中を
微笑んですすむ

人はおどり
おどる人は
おどおどあるき
小さく消える

すきだすきだ
パーフェクト

スマイル

どこからか現れ
知らぬ間に
さよなら

からまる感情の
なんと美しいことか
それなしでは
世界に何の意味があろうか

訪れた幸福は
なんと憂いをおびて
厳たる佇まいであろうか

それを知らないで
時がとけていくのは
とても悲しい

きみの絡まる足並みは
なんと臆病で
その小さな生命で
その不確かな情熱で
微々たる尊厳で
目に見る事の出来ない
大きな真実をみていることであろうか

永久に
とどまることはない
それならば
それを知ろうとする事と
それを解き放とうとする事は
全くおなじことではないか

これは
確認のための
生命活動である

君が放つ閃光を
受け止める活動である

人々がすすむ
人々が木霊する
今ここにある
瞬間

さあ
思いはどこまでも飛んでゆきます
子汚い精神の中を
なんともなく飛んでゆきます
ユーモアを打ち鳴らし
さも戯け顔で去りまして

深海の更にひかりも通らぬような
奥の奥の誰にも触れられぬところで
なんともなく
自身以外のことを考えています

それはなんとも伝えようのない
おびただしい数の記憶と臆病です
希望はもうすぐそこです
そこというより、ここです
ここというより、今の思いです

書く事で解放される
それを信じて 歩きます
いつも音楽はながれて
それは
明るい空に流れます

鋭利な角度から彼は追い込まれ
部屋の隅に迫られ
いきつくの いつも笑う顔がそこに

情けなく 曖昧で
女々しいほど
その生命が躍動するのでここで
光は闇を切り裂くのだと
毎日のように感じます

やはり何かわだちを残したいようで
性懲りもなく
ぽろぽろと涙をながすのでここで
夜が唐突に迫るのです

泡ぶくの小さい痛みが
手足を鉄のように締め付け
解き放つさきを見つめるのでここで
彼女を彼は好きなようです

永遠に無限は飛び散り
それがイメージを閉じ込めるのでここで
もう5年ぐらい
彼は勘違いをしているようです

感情は平らにされ
もう運命を忘れたのでここで
そろそろ
抵抗を始めようと思います

ある日の次の日
風のない日
神々しい弱々しさがここで
胸を張って在ります

体温は広く浅く散らばり
真実の嘘がすぐ頭に浮かんで
自信というイメージが中々にもてず
むしろそれをもてあましているかのようで

完成度の低いオブジェ
古の記憶で生まれた感情は
もともと誰のものでもないのだな

あがくもがく
さよならしみじみ
手の中の過ちを許した
許して壊した
そして白い石で埋まった庭一面に
ナイフを刺してまわった
黄色い昼間

ベランダのちょうど右斜め、800メートル先から
ギターの反響、匂いがまざったドラム 大きく近づく
山はすぐそこだ 車はない
然らば僕が恋というものに気がつくのも
不自然であるということもない

良い人間に、良い人間になりたい

生活に誠実で正直な風よ ふけよ
白く細い粉がこれでもかというほど降れよ

いつまでも恐れよ消えてくれるな
取り留めもない言の葉を踏んでくれるな

違った目や鼻やカタチを
退屈な憂鬱としてキャンバスに落とせ!
50キロもある後悔と空白をのさばらしていてはだめだ

暁は叫ぶぜ 抱く円を
せめてもの感受性が唯一の彼の残骸だっ
だっだっ

止まるな 流れるな
表現は濁流の渦の小川だ
それならば 破壊から生まれ
継続を断ち切れ
スパイラルをはずれ
枠をよじ上れ

そこから見えた3月の春は
どうだ

彼女はジャンプした
小さな猫を飛び越え
大空へ舞ったっ!!
っっっっっっっっ!

痛快に!

そう
火を灯すように
深々とした夜の光景を裂いた

素知らぬ顔をしながら
紅く強く深く塗りたぐる!

とけだすように溢れ出すんだ
誰も何も与えてはくれないのだ

彼が辿り着くはずのないイメージは
彼以外にもつことはできないのだ

壁に書くのだ
ふたつに割れるいつもの決意を
とけだすように溢れ出すんだ
それにはどうしてもさからえないんだ

カラーオブワールド!
最高潮の充実!
悲哀の追放!

さざなみ
川沿いのレンガ作りの小道に
小さな小さな
ゆるくもだれる風がふき

何も戦っていないじゃないか
あきらめてばかりじゃない

旋回する
迂回する
また同じ場所にたつ
軽薄な言葉をはく

出遅れる
いらだつ
やみくもに答える
曖昧な答えを探す
どこにむかっているのかもわからず
大きい力に
今日のページをめくられている

近づけば近づけば
灯る小なる火は弱り
さまようように妖しげく
トワの夜中をなでまわす

しなやかな夕べから
遠い富士の景色を負い
乱れる心ここに閉じる

春の漂う水辺の音が
ここにとどまることはない
世界に空に垂れ落ちる
みたこともない悲しみよ

それはだれのものでもないのだな
ただここにいるだけなのだな

届く届かず
後ろに連なる陰影よ
汝もたれかかるさだめかな
中庸の面持ちである

ぽたぽたとこぼれるのだ
カタチのないロジカルが

ラジカルが老いるのだ
その得体の知れない進化の地球に

人知のしれない大地から
今二人で飛び立つのだ
片時も離れる事なく

つながるのだ
つながりたいものに
そこでまた新しくつながるのだ









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トニー滝谷


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トニー滝谷
2004年/日本映画/35mm/75分/カラー
イッセー尾形・宮沢りえ・西島秀俊
音楽:坂本龍一 監督:市川 準 原作:村上 春樹


太平洋戦争の始まる少し前、トニーの父親、滝谷省三郎はちょっとした面倒を起こして、中国に渡った。日中戦争から真珠湾攻撃、そして原爆投下へと至る激動の時代を、彼は上海のナイトクラブで、気楽にトロンボーンを吹いて過ごした。彼がげっそりと痩せこけて帰国したのは、昭和21年の春だった。彼の名は滝谷省三郎、彼が結婚したその翌年にトニーが生まれた。そしてトニーが生まれた三日後に母親は死んだ。あっという間に彼女は死んで、あっという間に焼かれてしまった。孤独な幼少期をおくり、やがて美大で地に足の着かない“芸術”を学ぶトニー。目の前にある物体を一寸の狂いもなく、細部に至るまで正確に写生するトニー。女学生「うまいんだけど、体温が感じられないのよね」体温? それらはトニーにとってただ未熟で醜く、不正確なだけだ。数年後、デザイン会社へと就職し、そして独立しイラストレーターとして自宅のアトリエで仕事をこなすようになトニー。彼の家には様々な出版社の編集部員が出入りしていた。小沼英子も、そんな編集部員のひとりだった。そしてトニーの人生の孤独な時期は終了し、やがて新たな生活と共に幸せの中に浸れるようになった。
トニー「…なんというか、服を着るために生まれてきたような人なんだ」
父「それはいい」
しかし一つだけ、トニーには気になることがあった。それは妻が、あまりにも多くの服を買いすぎることだった…。


1.空白で占められた画面2.高台の空き地に建てられたセット3.登場人物の少なさ4.脱色処理を施した色調の浅さがこの映画の世界だ。

淡々とした現実生活の描写にも関わらず、地面のすこし上を浮遊するような物語のテイストは、原作の持つ’空虚な移ろい’を実に見事に映像化していて、その一時的な空間の美意識に否応なしに釘付けになる(シンプルが故に)。

調和の取れた音楽やキャスティングも、その一番根っこにあるものはトニー滝谷というキャラクターへの愛情と優しさである。この映画はハダカである。孤独というものの正体をさらけ出すのである。



















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HERO
Kiss of the dragon

ジェットリーの目の強烈な力強さは正反対な切なさを内包し、人並みはずれたカンフーの速さ(本当に速い)は強さを内包する。カンフーを本当の意味で自然にメジャーにして、そして誰もが感動と驚きをもってその華麗さに気がつく。この二本の映画からはワイヤーアクションの陳腐さと嘘がなくて、暴力がやけに生々しく、それは必然的にそこで起こっている事のように見えて、とても悲しくうつる。が、映画の中の彼を突き動かす動機は必ずしも怒りという感情だけではないような気もしてくる。それは全てを格闘という手段で舞う、踊る、ような感覚。孤独であり、寡黙であり、そしてどこまでも純粋に強い人物を演じるのが上手い。彼の魅力を上手く説明できないし、きっとカンフーからは何も感じない人も多い。ただ彼の舞うような格闘は、何か秘めたもの、人間的な匂いをとても感じて、そのそれぞれのアクションが感情で彩られている。










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A Very Long Engagement
2005年 フランス

映画「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ監督作品。オドレイ・トトゥ主演、原作セバスチャン・ジャプリゾ『長い日曜日』。第一次大戦下のフランス、ブルターニュ地方で、マチルドの婚約者マネクは兵役から逃れるため故意に身体を傷つけた罪で軍法会議で死刑を宣告され、処刑されたという告知をマチルドは受けとる。が、マチルドはその悲報を信じることが出来ず、自らマネクの足取りを調べ始める。今作品は「アメリ」以上に映像世界へのこだわりには妥協がない。些細なワンシーンの映像も驚くほど綺麗で、荘厳で、牧歌的である。第一次世界大戦を題材にした映画は意外に少ない、その中でこの映画は戦争の最も深くて、残忍な事実を隠さない。最も悲惨な状況と最も苦しんだ人々の事実を偽らない。その意味で、どこまでも美しい20世紀のパリの風景とブルターニュの景色が、その戦争の事実の裏で、皮肉にも痛々しくうつる。物語は直感と奇跡を信じ続けるマチルドが持つ純愛の普遍性を裏側で描いて、その結末でその重要性を問いかける。






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SFホイップクリーム
2002年  日本
監督 瀬々 敬久
出演 武田 真治
   松重 豊
   
2060年捨て子として育てられた新宿の不法滞在異星人KENが故郷の惑星に強制送還され革命に巻き込まれる話。低予算で作られたであろうこの映画は、間違いなく武田と松重の演技力に支えられている。表現豊かな長身の松重と目の力と印象が強い武田の存在感、を見ると二人芝居としても楽しめる。が、この映画のもう一つの魅力はロケーションだ。ロケ場所は極秘らしく、場所はわからないが、そこからは現代の匂いが一つもしない。プロットに裏打された自由奔放な発想と展開が見ていてとてもいさぎよく、爽快で、またそれが映画の中だけに許される“空想”と“架空“を演出する。飛行船やCGのチープさもまたかわいらしくて、ファンタステイックでもある。如何せん、エキストラの演技が鼻につくが、憎めない、愛すべき映画。



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nothing
2003, Canada
監督 Vincenzo Natali
出演 David Hewlett, Andrew Miller

「幼なじみの同居人二人がある日、それぞれに不条理な事件に巻き込まれ、自宅で行き場を失ったその瞬間に、二人を残して外の世界が全て消えてしまう」という話。監督はCUBE、カンパニーマンのナタリ。以前雑誌でナタリのインタビューを読んだ時に、彼は日常の生活にはなんら興味も面白みも感じないので、彼にとって不条理で空想的な設定のストーリーを作る事がとてもエキサイテイングな事なのだ、と話していた。ナタリの映像の特徴は物語の中で、空間と時空の感覚がなくなることで、特にCUBEでは迷宮が永遠に続くような得体のしれない恐ろしさを感じる。今作はCUBEでの無慈悲な非道性、サスペンス性は少なく、ユーモアとコミカルな台詞の中で、不思議でなにもない空間に放り投げられた二人の男の話が展開していて、十分に楽しんで観れる。二人は中盤から念じる事によって自分自身の”嫌な思い出、記憶、性格、憎悪”を消せる能力を身につける。ここが物語最大のポイントで、神のような力を手に入れた二人は、しかしそれが原因でお互いの大切なものを消し始める。でも、二人が最後までどうしても消せないものが一つだけあった。

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ー美しい夏キリシマ
ー父と暮せば
監督 黒木 和雄

美しい夏キリシマ
1945年夏。南九州の霧島地方では、敵機グラマンが田園を横切り悠々と飛んでいく。15歳康夫は動員先の工場で空襲に遭い、親友を見殺しにしたという罪の意識から、毎日を過ごしていた。厳格な祖父・重徳は、そんな康夫を非国民とののしるが、大人たちの間にも混乱の空気は広がりつつあった。そんなある日、康夫は思い切って、死んだ友の妹・波に会いに行く。一度は追い返された康夫だが、再び許しを乞いに訪れた時、波からある命題をつきつけられる・・・

父と暮せば
井上ひさし傑作戯曲「父と暮せば」の映画化。広島の原爆投下から3年、生き残った後ろめたさから幸せになることを拒み、苦悩の日々を送る美津江。父竹蔵と悲しみを乗り越え未来に目を向けるまでの四日間の軌跡。美津江の恋のひらめきからこの世に戻った竹蔵の亡霊。監督黒木和雄はどこまでも具体的に現代的に被爆の悲劇を伝える為に描いて、同時に最悪の状況下でも、人間は常に未来をみていこうとする魂の強さを信じている。

広島に原爆が投下されたその瞬間、摂氏1万2000度の閃光が地上に降り注いだ。その温度は太陽二つ分の温度で、それが地上に降り注いだというのは筆舌に尽くしがたい。監督黒木和雄は原爆体験者としての過去を包み隠さずさらけだして、自身の体験を踏まえながら赤裸裸にそして真実を、映画という媒体を通して残そうとしている。黒木自身の被爆体験は友人が目の前で吹き飛ばされるという壮絶なものだった。この2本の作品に貫かれている生存者の“後ろめたさ”という感情は黒木自身のものであるのかもしれない。原爆という激しい題材をあえて3部作として発表することは、とても大変な事であるはずだし、戦争という真実を今でも、そしてこれからも形にして伝えていく事の重要性を体現している。

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マインドゲーム

2004年 日本
原作 ロビン西
監督 湯浅政明(音響生命体ノイズマン、ねこじる草)
音楽 山本精一(ボアダムス、思い出波止場、羅針盤、ROVO)
製作 STUDIO 4℃
声優 今田耕司 藤井隆 山口智充 坂田利夫 島木譲二、他


日本でも多くの人に見られ、海外でも早くから絶賛された「マインドゲーム」Studio4℃は2003年にウオシャウスキー兄弟と共同プロヂュースをした「アニマトリックス」などを皮切りにとても先鋭的なアニメーションを制作している。今作では実写、2D、3Dを融合させたハイブリッドな展開、独特の描写、デイテール、色彩、キャラクター、構図、ストーリー、タッチ、スピードが現実的で魅力的な動きを実現していて、特に注目するのは『ある瞬間に思いついたように実写が挿入される』というコンセプトでラフに変形された実写が随所に溶け込んで他のアニメーションと違う映像のこだわりとメリハリを吹き込んでいる。

カット数の多さはどのアニメーションより多く、目が追いつかない。時空が何度も前後になって過去と未来を同時に振り返ったり、現実と非現実を何度も行き来したりしてまさしくマインドゲームの如くビューポイントを操られているような錯覚に陥る。特に主人公のニシが殺されて“神様”と接触するシーンは圧巻。油絵の具の質感から完全な3Dまで、また神様が百変化するシーンは脳と視界が麻痺する感じだ。ボストンの小さい映画館でみたが、アメリカ人は爆笑、全編ギャグは百発百中、一度も外さなかった。そこにいた観客が1時間40分は完全にニシの世界に吸い込まれた。ただテンションとハイブリット感で持って行くのではなくて、ちりばめられたギャグの中で未来を渇望するニシのポジテイブな台詞が映画を熱く、引き締める。

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Goodbye, Dragon Inn
不散/さらば、龍門客桟

2003年 台湾
監督 Tsai Ming-liang
出演 Lee Kang-sheng, Tien Miao,Kiyonobu Mitamura

蔡明亮が見る台湾はいつも雨が降って、街はじめじめして灰色で暗くて人々はその憂鬱と倦怠に包まれて、そして彼らは常に”ひとり”としてあらわれる。廃館を目前にした映画館で最後の日を過ごす従業員と数人の客達の奇妙な出会いと会話。映画の中の映画館で上映されているキン・フーの「龍門客棧」を通して接触する観客達、でもその全ての会話は必ず”ひとり”と”ひとり”のやりとりの中で、”孤独”と”孤独”の会話を作る。

小さな映画館の廃館という出来事の中に人と空間との距離、人と人との距離を厳しく埋め込んでいる。やさしく真実を見つめる映像でワンカットがとても長い(約3分)上に、BGMも台詞も極端に少なくてその分本当に映画館で働いてるように気分になって、とても不思議で透明な映画です。

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チキン・ハート
2002年

池内博之   忌野清志郎
松尾スズキ  荒木経惟
岸部一徳   尾美としのり
監督・脚本 清水浩
音楽 鈴木慶一

やりたいことが見つからなくて何をやってもうまく行かない、生きてくためにはどんな仕事でもして、きらいなことは一切しない3人は日々の中を漂う脱力感の中で、ある事件をきっかけにそれぞれの大切なものを探し始める。頭に残る台詞がたくさんあるのに、その台詞はどれもだらーっとしてほのぼのとして、またそれは”蛇イチゴ”に見る日常の身近な生活を焦点にあてたテレビドラマ的空気を含む。清志郎とアラーキーという二人が映画から今にも飛び出そうな威圧感が、松尾スズキと岸部一徳の地味さとバランスされていて,”蛇イチゴ”にも”チキンハート”にもいわゆる映画の”派手さ”と”なみ”はないが、子供のころに聞いた昔話のようにこの3人の物語は体の隅にすっと残る。

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蛇イチゴ
2003年

宮迫博之
つみきみほ
寺島進
笑福亭松之助

明智家の父、痴呆の祖父、の介護をしながら家庭を支える母、娘の倫子の四人は平凡な家族である。倫子は小学校の教師として働き、結婚の話が出始めた矢先に祖父が急死。火葬場で、偶然にも現れたのは家族の中の最後の一人だった。「ワンダフルライフ」「ディスタンス」の監督、是枝裕和が初プロデュースする「是枝プロジェクト」、伊勢谷友介「カクト」に引き続き、第2弾の「蛇イチゴ」で西川美和の初監督作品をプロデュース。家族の中の”裏側”の感情のやりとりは平凡な家族の嘘のつながりを露呈させる。世間体や見栄の為に意地を張りお世辞を言い合う偽家族の中に、帰ってきた兄がなにかを少しづつ変化させてゆく。宮迫がとてもいい演技をしているのと、たまらなくゆるい空気の”リアル”がずっと頭に残ってしまう映画で、テレビドラマに限りなく近い、家族の中の盲点をうまく描写した日本映画的秀作。

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地球最後の二人
Last life in the universe
2003 タイ/日本合作

監督:ペンエーグ ラッタナルアーン
撮影:クリストファー ドイル
脚本:ブラブター ユン
出演:浅野忠信
   シニターブンヤサック
   ライラーブンヤサック
   竹内 力
   松重 豊
   三池 崇史
   佐藤 佐吉

タイのパタヤ・日本を舞台に、潔癖なまでに清潔を保つことで世間からバリアーをはる男、ケンジと、奔放で勝気な女、ノイ。正反対の二人がお互いの兄と妹の死をきっかけに出会い、言葉をかわし、心を近づけていくこのラブストーリーは、言葉の通じない二人の会話やタイ人の気性ぶり、タイ料理からタイの暑さと風景、日本人の気質、若者が持つ特有の虚無感その他あらゆる要素が余すことなくストーリーの”一部”として重要な役割を果たしていて、それにまつわる細かい映像がとても綺麗だ。クリストファードイルは世界一女性を撮るのが上手い撮影監督で、写真家でもあり、そのアングルと構成には目を見張るものがある。タイの風や厚さをフィルムの中に完璧に集約して、映画が終わった後もそのタイの匂いと風は手のひらに残っている。

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1980

監督・脚本:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
主演:ともさかりえ・犬山イヌコ・青井優 
2003年

”この魚達は自分がどんな時代に生きているのか知らずに死ぬんだね”

1980年12月9日、ジョンレノンが殺害された翌日の日付から映画はスタートして、岡崎京子のオマージュから始まりテクノ&聖子ちゃんカット、YMC、RCサクセッション、プラスチックス、ウオークマン、ローラースケート、スライムからなめ猫グッズまで、音楽から美術、小道具、ファッションまで80年代へのこだわり方は尋常ではない。
監督は80年代のヒーロー”有頂天”のKERA。現在は「ナイロン100℃」主宰、演出家として活動。この映画も終始間が演劇的であり、出演者も80年代ゆかりの音楽家や芸術家の顔を見ることができる。忌野清志郎、ピエール瀧、田口トモロヲ、鈴木慶一、ロマンポルシェ等が脇役で出演。80年代に生まれた日本の価値観はとても日本的でオリジナルなものだ。得に若い世代は21世紀に希望を持っていたし、エネルギーに満ち溢れていた。何か新しい物や新しい事を真剣に模索していた。しかし結果、多くの社会問題や新しい物を追い求めるばかりの生活の、その裏で垣間見える虚しさや孤独も同時にこの映画で感じる事ができる。

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リアリズムの宿

監督:山下敦弘
原作:つげ義春
主演:永塚圭史+山本浩司
音楽:くるり

新人映画監督の木下、脚本家の坪井、単なる顔見知りの二人がひょんな事から鳥取県の温泉街に旅に出ることになる。旅の途中、日本海の砂浜で裸の敦子に出会い3人としての旅が始まるが・・・。
誰でも経験するような旅の奇妙な出会いから苦い経験、旅先の恋、喧嘩、発見、たいした仲じゃない同姓二人の旅行での居心地の悪さとか友情を派手さはなくともリアルに忠実に再現してその面白さを淡々と綴っていくが、最後まで間延びする事はなくてそこには爆笑でない軽い笑いがずっとある。原作の漫画の距離感を殺さないよう、アングルが第三者の距離に置かれて各場面は漫画を読んでいくように進んでいく。この映画はどこまでも「素」だ。やっぱりドラマではない、コメデイーだ。

山本監督その他の作品「どんてん生活」「ばかのハコ船」

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牛頭 GOZU -極道恐怖大劇場ー

監督:三池崇史
脚本:佐藤佐吉

「もしデビッド・リンチがVシネヤクザホラーを撮ったら?」
日本ではVシネマとして販売、アメリカ・ヨーロッパでは地味ながらもインデイペンデントムービーとしてロングランを記録。俳優陣には相川翔、曽根秀樹、間寛平、火野正平、木村進、遠藤憲一等個性派中年俳優が固める。名古屋を舞台に終始アンビバレント体験の連続で、ヤクザ映画とホラー映画が一つになった本当に見たことも体験したこともない新境地に達している。
この映画はどうしてもみなさんに見てほしい映画です。綺麗に賛否が分かれるでしょうがどちらにせよ抱腹絶倒必死。

三池崇史作品 「殺し屋1」「中国の鳥人」「カタクリ家の幸福」

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