numbnessandsuprise

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1980

監督・脚本:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
主演:ともさかりえ・犬山イヌコ・青井優 
2003年

”この魚達は自分がどんな時代に生きているのか知らずに死ぬんだね”

1980年12月9日、ジョンレノンが殺害された翌日の日付から映画はスタートして、岡崎京子のオマージュから始まりテクノ&聖子ちゃんカット、YMC、RCサクセッション、プラスチックス、ウオークマン、ローラースケート、スライムからなめ猫グッズまで、音楽から美術、小道具、ファッションまで80年代へのこだわり方は尋常ではない。
監督は80年代のヒーロー”有頂天”のKERA。現在は「ナイロン100℃」主宰、演出家として活動。この映画も終始間が演劇的であり、出演者も80年代ゆかりの音楽家や芸術家の顔を見ることができる。忌野清志郎、ピエール瀧、田口トモロヲ、鈴木慶一、ロマンポルシェ等が脇役で出演。80年代に生まれた日本の価値観はとても日本的でオリジナルなものだ。得に若い世代は21世紀に希望を持っていたし、エネルギーに満ち溢れていた。何か新しい物や新しい事を真剣に模索していた。しかし結果、多くの社会問題や新しい物を追い求めるばかりの生活の、その裏で垣間見える虚しさや孤独も同時にこの映画で感じる事ができる。

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Death Cab For Cutie

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Death Cab for Cutie
Photo Album 2001

1997年シアトルで結成の四人組バンド。流れる様なギターサウンドに存在感のない透明な声が周りの音と重なってゆく。ソフトドラム+生音スタイル中心にアメリカ内では希少な繊細さがある。ストーンローゼスからの影響とパステルズやピクシーズのようなやさしく温度のあるメロデイーが軽くて暖かい。全曲通して彼らは音も曲の流れもとてもシャイで正直であり、厚みのある音の中に特有のシャープさがあり、そしてとてもバランスがよくて、肩に力が入っていないバンドだ。興味深いのは聞く度にその印象が少しづつ変わっていくような感覚を覚えて、得に暗闇で視覚を遮った状態で彼らの曲を聴くと、ボーカルがダイレクトで届くようでその音色の美しさに驚く。

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SAKANA

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SAKANA 
1996 幻の世界
2004 Locomotion

強く美しいボーカルとフォークギターの重複。照れ臭い若さと赤裸々な言葉の群れは聞き手に防御する隙を与えない純粋さがある。女性ボーカルに共通する”淡さとたゆたさ”とは対極に位置する泥臭さと太くハスキーな歌声はそれだけで存在感を発する。チルアウトの中途半端な心地よさはそこにはなく、sakana特有の熱と切なさが3枚全てに濃縮された、ジョニーミッチェルの声高らかな意思表示にも似た歓喜の結晶集。


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シガテラ
作:古谷 実 
  全1-6巻

  前作ヒミズのテイストを引き継いだ青春物語。シガテラとは亜熱帯の毒魚による食中毒の総称。学校にいくと荻野は谷脇に毎日苛められるが、バイクと彼女南雲を希望の糧にして日々を過ごす。谷脇のいじめがある日突然終わり、南雲との幸せな日々が続くかと思ったが・・。
  稲中・グリーンヒルとは一転、‘笑い‘を抑えたシリアスでリアルな若者の苦悩と生活を描き出したシガテラ。主人公が持つ最大のキャラクターは、強烈なまでの自己嫌悪と向上心だ。心のベクトルが常に不安定な中でも荻野はより強く、誰かの為に生きる事を学んでゆく。荻野は周囲の人間に不幸の源だと言われる。ショックをうける。自覚していたからだ。荻野は常識人であるが故に周囲にある「異常」をよく観察している。自分がクラスの、社会のどのレベルにいるかを把握している。幸せになる事を恐れて、彼女がいなくなったらどうなってしまうのだろうと嘆く。荻野は至極当然に客観的に自分を受け入れていく。最終章で社会人になり’立派な大人’になった荻野は”自分はつまらなくなった”と呟く。17歳の”毒”を思い出す。荻野の中のシガテラとは何だったのだろう。

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ヒミズ
作:古谷 実
全1-4巻

ヒミズはモグラ科の動物。日に当たると死んでしまう(日みず)。
人生に夢も希望も持とうとしない中学3年生の住田。彼は誰にも迷惑をかけずに生きようとする。不幸にも幸福にも遭遇しないように彼はヒミズの様に日々を重ねていくが、ある日母親が愛人と蒸発、その矢先住田の”元父親”が住田の前に現れる。その時住田がとった行動は・・・。

結局住田は父親を殺してしまう。それはある側面では衝動的であり計画的でもあった。住田は父親を殺害した後、4つの選択視を考える。1自首、2自殺、3幸運を探し続ける、4そして最後に今から頑張って立派な大人になる。
住田はどこまでもストイックに自分自身を追い込んでゆくが周囲の人々は彼の悩みや不安を理解できないでいる。周囲の人々からだんだん距離を置き始める。自分の”死”や”運命”や”境遇”について考え始める、学校にいかなくなる、自分を慰めない事を、多少の不幸で嘆かないと、誰にも迷惑はかけないと誓う、無数に起きる無残な犯罪も住田は冷静に現実として受け止め始める。そして”オマケ人生”と称して”悪い奴”を探しに街を歩く。住田の為に人を殺して6000万を盗んだ正造、彼女の茶沢さん、きいち、多くの変質者、そして住田を見つめる死神の影。

物語の中で起こる事が日常的なのか非日常的なのか、考えや思いが被害者なのか加害者なのか、住田の思考の中は赤裸々に暴かれ、住田はその答えをみつけ始めるのだ。気づけば人間の根本的な衝動と煩悩と愚かさがそこには、ある。

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tender, summer



見慣れない風景の波打ち際で
確かな微笑みを聞く


エネルギーをくれる
確かな道のりを示す


生まれては死んで
浮かんでは消える


よい人間になりたい
つながっている人間になりたい



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リアリズムの宿

監督:山下敦弘
原作:つげ義春
主演:永塚圭史+山本浩司
音楽:くるり

新人映画監督の木下、脚本家の坪井、単なる顔見知りの二人がひょんな事から鳥取県の温泉街に旅に出ることになる。旅の途中、日本海の砂浜で裸の敦子に出会い3人としての旅が始まるが・・・。
誰でも経験するような旅の奇妙な出会いから苦い経験、旅先の恋、喧嘩、発見、たいした仲じゃない同姓二人の旅行での居心地の悪さとか友情を派手さはなくともリアルに忠実に再現してその面白さを淡々と綴っていくが、最後まで間延びする事はなくてそこには爆笑でない軽い笑いがずっとある。原作の漫画の距離感を殺さないよう、アングルが第三者の距離に置かれて各場面は漫画を読んでいくように進んでいく。この映画はどこまでも「素」だ。やっぱりドラマではない、コメデイーだ。

山本監督その他の作品「どんてん生活」「ばかのハコ船」

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牛頭 GOZU -極道恐怖大劇場ー

監督:三池崇史
脚本:佐藤佐吉

「もしデビッド・リンチがVシネヤクザホラーを撮ったら?」
日本ではVシネマとして販売、アメリカ・ヨーロッパでは地味ながらもインデイペンデントムービーとしてロングランを記録。俳優陣には相川翔、曽根秀樹、間寛平、火野正平、木村進、遠藤憲一等個性派中年俳優が固める。名古屋を舞台に終始アンビバレント体験の連続で、ヤクザ映画とホラー映画が一つになった本当に見たことも体験したこともない新境地に達している。
この映画はどうしてもみなさんに見てほしい映画です。綺麗に賛否が分かれるでしょうがどちらにせよ抱腹絶倒必死。

三池崇史作品 「殺し屋1」「中国の鳥人」「カタクリ家の幸福」

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空中庭園 作:角田光代

郊外に住む京橋家は秘密を作らない事を家族の約束としている。しかしその生活には至る所に秘密の影が潜む。そしてストーリーが進むにつれその影の 深さが表面化しはじめる。 六人の視点から描き出される家族の中の「自分」 とその関係性。マナ、コウ、パパ、ママの四人家族、更に祖母、パパの愛人ミーナ、六つの視点から全く 異なる価値観で家族という狭間で揺れ動く人々。

6者6様全く異なった家族感、信頼感、責任感を持っている 事が浮き彫りになり始める序盤から既に京橋家の家族としての 違和感を読者は感じ始めるだろう。南向きのドアがある郊外のダンチ に住み絵に描いたような幸せな家族、全員違和感を感じているのに 心のドアは”逆オートロック”状態。全員がアンバランスで 身勝手な態度の中で家族を維持し、良い家族を振舞おうと してゆく様は徐々に異様な雰囲気を醸し出し始める。 連作小説の場合、各々の視点からの家族像がどれだけリアルで あるかが最大の焦点であるように思う。その点角田光代の文章は 引き締まっていなくて上手い。ふわふわしている。 文章自体に角田特有の淡いイメージと軽さがあって、アンニュイで悲哀な感じをそこで受け取る事できる。


10月に公開予定だった映画「空中庭園」。監督豊田が覚せい剤所持 で8月逮捕。公開延期される可能性もあるだとか。なんか、悲しいかな逮捕するのは勿論そうだが映画は別にいいでしょうと思う。

豊田監督のその他の作品「9ソウルズ」「青い春」「アンチェイン」





アインシュタイン

「わたしは天才ではありません。ただ、人より長くひとつのこととつき合ってきただけです。わたしには、特殊な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。わたしにはよいアイデアが浮かびますが、他の人もそうです。ただ、わたしの場合、幸運だったのは、そのアイデアが受け入れられたということです。わたしは、自然について少しは理解していますが、人間についてはほとんどまったく理解してません。相対性理論では、あらゆる点に時計があると想定しましたが現実においては、わたしは自分の部屋に時計ひとつ取り付けることにも苦労します。わたしは、1日100回は、自分に言い聞かせます。わたしの精神的ならびに物質的生活は、他者の労働の上に成り立っているということを。

「わたしたちが体験しうる最も美しいものとは、神秘です。これが真の芸術と科学の源となります。これを知らず、もはや不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなった者は、死んだも同然です。わたしたちは、好奇心に満ちた子どものようになってしまいます。この偉大なる神秘、わたしたちが生まれてきたこの世界の前では。大切なのは、疑問をもち続けること。神聖な好奇心を失ってはいけない。好奇心は、それ自体に存在理由があります。永遠や人生や実在の不思議な構造といった神秘についてよく考えてみるなら、畏敬の念をもたずにはいられないでしょう。毎日、この神秘を少しでも理解しようとするだけで十分です。

科学の全体は、日常的な思考の精錬にほかならない。思考とは、それ自体が目的である。音楽もそうです。空間とは、物事の単なる背景ではなく、それそのものが自律的な構造をもっているのです。もし、この宇宙からすべての物質が消減したら、時間と空間のみが残ると、かつては信じられていました。しかし、相対性理論によれば、時間と空間も、物質とともに消滅するのです。熱いスト-ブに1分間手を載せて見てください。まるで1時間ぐらいに感じられるでしょう。ところが、かわいい女の子と一緒に1時間座っていても、1分ぐらいにしか感じられません。それが、相対性というものです。

数学がしばしば他の科学を超えて特別に尊重される理由のひとつは、その法則が絶対的に正確で明白であるということだ。いっぽう、他の科学は、ある程度議論の余地はあるし、常に、新しい発見によって覆される危険にさらされている。数学の法則を現実に当てはめるならば、それは不確かなものになる。数学の法則が確かであるならば、それは現実に当てはまらない。数学は確かによくできている。しかし、自然は常にわたしたちの鼻をつかんで引きずり回す。物理学が求めているのは、観察された個々の事実を結びつけるための、最も単純な思考システム。すべての物理学の理論は、数式は別にして、「子どもでさえ理解できるように」簡単に説明すべきである。

肉体と精神はふたつの異なるものではない。同じことをふたつの異なる形で知覚するというだけのことだ。同様に、物理学と心理学も、われわれの体験を系統的な思考によって結合させようとするふたつの異なる試みに過ぎない。結果というものにたどり着けるのは、偏執狂だけである。目の見えない虫は、球の表面を這っているとき、自分が通ってきた道筋が曲がっていることに気づかない。わたしがそれを発見できたのは幸運だった。この世界を、個人的な願望を実現する場とせず、感嘆し、求め、観察する自由な存在としてそこに向かい合うとき、われわれは芸術と科学の領域に入る。

わたしは、あまり人づきあいしませんし、家庭的でもありません。わたしは平穏に暮らしたい。わたしが知りたいのは、神がどうやってこの世界を創造したかということです。ほたしは、あれやこれやの現象だの、元素のスペクトルだのに興味はありません。わたしが知りたいのは神の思考であって、その他のことは、些末なことなのです。わたしたちは、いつか、今より少しは物事を知ってるようになるかもしれない。しかし、自然の真の本質を知ることは永久にないだろう。

わたしは誰にも何も求めないので幸せでいられます。お金もどうでもいい。勲章も、肩書も、名誉も、わたしには何の意味もありません。賞賛もほしくありません。わたしに喜びをもたらすただひとつのものは、仕事、バイオリン、ヨットを別にすれば、ともに働いた人々への感謝だけです。もし、わたしが物理学者にならなかったら、おそらく音楽家にっていたでしょう。わたしはよく音楽のようなものを考えます。音楽のように白昼夢を見ます。音楽用語で人生を理解します。わたしは音楽から人生のほとんどの喜びを得ています。

わたしは今、孤独の中に生きています。若者には苦痛だが、成熟した人間にとっては、甘美な孤独の中に。ベルリンでも、何も変わりがありませんでした。その前のスイスでも。人は、生まれつき孤独なのです。


岸本英夫文学博士

「世界を忘れ、人間を忘れ、時間を忘れたかのような境地に没入する時、人間の心の底には、豊かな深い特殊な体験が開けてくる。永遠感とも超絶感とも、あるいはまた絶対感ともいうべきものである。この輝かし体験が心に遍満する時、時のひとつひとつの刻みの中に永遠が感得される。」



池田大作

「”負けない”ことだ。”自分が強くなる”ことだ。幸福は誰かが与えてくれるものではない。自分が強くなった分しか、幸福はない。全部自分がどうか、だ。自分で自分の人生をどのようにでも決定していけるのだ。人に頼る根性、人に責任を押し付ける卑しさ、弱さであってはならない。人を恨み、うらやみ、わびしい自分であっては、雲におおわれた太陽の自分だ。どんな悩みがあってもそれをバネにし、じっと我慢し、こらえて、今に見ろと自分を励まして進むのだ。行くべき自分の軌道を、黙々と、忍耐強く進んでいくのだ。君が太陽なのです。あなたが太陽なのです。まず、そう決める事だ。自分が太陽である限り、今どんな悩みがあろうとも、「朝」がこないわけがない、「快晴」の日がこないわけがない。「春」がこないわけがないのです。」



ノーベル賞学者利根川進教授の人間の心について

物理学的観点から

人間の体は何で出来ているのか?髪の毛から爪の先まで約60兆から70兆の細胞から出来ています。細胞は分子から分子は原子から原子は素粒子から素粒子は量子からできている。でも量子の実態とはなにか?簡単に言えば、紐のようなもので、その紐がゆれている、つまり人間の体は振動で出来ているといっても過言ではないのです。

すべての生命、動物も植物も人間もそして宇宙さえもその根本となる紐から波を発しています。人間から出ている波も一人一人異なる。人間の場合は脳から出る波が一番強い、つまり脳波ですが、宇宙の波動は最も良い波動であり、それをアメリカの科学者ウエインストック博士が発明したMRA(共鳴装置)という機会で測定すると7.5ヘルツという数字がでます。では、この波動を人間の脳波に相当させるとどのような常態であるのか?それはアルファー波とシーター波の中間状態です。アルファー波はウトウトしている状態、まどろんでいる気持ちのよい状態。シーター波は絶好調の状態、気分爽快という状態。つまり絶好調だけれども少々抑え気味でウトウトしているけれど目がさめている状態が7.5ヘルツの状態です。これが人間にとって最高の状態というわけですが、7.5ヘルツの人間とはいったい誰なのでしょうか?それは、赤ちゃんです。赤ちゃんは嘆いたり、悲しんだり、うらんだり、根に持ったりする事がないのでいつも一定の7.5ヘルツで生きているのです。目がきれい、肌も張りがある、成長が早い、赤ちゃんは存在そのものが最高の生命状態なので、全てのものを受け入れやすい状態にあります。ここで重要なのはこの最高の状態に大人になってしまった人がなれるのかどうか、なることができます。それは二つの事を意図的に実践する事です。

1.楽しい事を思い出す作業

これをいつもいつも心がけていると芋づる式に楽しい事が次から次へとわかってくる。何気なく生きてきたことが実はとても幸せだった事に気がつきます。「もしかしたらこれは本当はもの凄く幸福な事だったのではないか」「よかったな」と思える。例えばです、自分の家の隣に意地悪婆さんがいたとします。いつもいろいろとからんでくる。でももしかしたらそれで自分が成長させてもらえる、得をしていると思えたら7.5ヘルツの世界へ入ってくるのです。

2.未来に対してイメージをはっきり、鮮明に、具体的に持つ事

例えば、寿命ならいつかお迎えがくるんじゃないかと思ったら駄目で、意識的、計画的に脳に命令をして決める癖をつけるのです。実際、金さん銀さんは二人が30歳の時に100歳まで生きると決めました。だからその間病気になっても自分を疑わなかった。私は生きるという意志を持ったからです。ですからいつになったら直るんだろうという思いではずっと治らないのです。具体的に治る日にちを決めてしまう。実現していない事を自分でイメージしてしまう。するとそうなっていく。

7.5ヘルツの世界に入って行く為にはいいことをどんどん思い出す作業と未来をきちんと具体的にイメージする、この二つがどうしても必要になってくるのです。



澤高久敬博士「環境と生物の考察」からの抜粋

「ひとはともすれば一定不変の環境を考えそこへすべての生物は置かれていると考える。しかし人間には人間の環境があり、魚には魚の、また鳥には鳥の環境がある。そうして人間各自にとって環境はそれぞれ異なるようにすべての生物には各自の環境がある。一言にして言えば、環境は無数である。生物を離れて環境自体というようなものはどこにもない。生物が生物として次第に自己を生み出してゆくように、そうしてそれによってさまざまな生物がそれぞれ自己の形を明らかにしてくるように、環境もまた次第に生物から分離して環境となるとともに、それぞれの生物に対応するさまざまな環境として自己を示してくるのである。」






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本当の欲求。
無限の空想。


夜月の散光が瞬くリズムの間に間に
俺は心臓の音がでかすぎる。


重音と反復の音の中で
彼はどこまでも孤独であることを知った。


全細胞が歓喜に悶え
空にオルゴールが鳴り響いたのだ。


血液が逆上して憤慨して
音譜が静脈に乗って奏でるC7


手に残る音色が
彼をまた惨めにさせるのだ。


雲が去り雨が止み、唐突に無造作に
無条件で、裸体は混乱する。


無限大の発光体。其の訳を、、。
今日も明日も想像していく



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slow



悲しくまわる 惑星が
静寂という贅沢の大群になって
どこまでも行こうとする


深く深くリズムの音
誰かのために動く身体が欲しくて
彼女は目を閉じている


息づかいは波に溶けて
透明な熱風が思う事を吹きとばして
美しく靡いている


星の音と夏の匂い
新しく生まれ変わる今日が
もうすぐそこにいるのだ


なんの準備もできぬまま
うねる未来は輝いている
彼女とは関係のない場所で



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