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live and life

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こんにちは。ご無沙汰しておりました。
最近ではもう月に2・3回のペースでしか更新できなくなってしまいましたが、このページがある日突然なくなってしまわないように、誰にも読まれなくなってしまわないように、これからも意味の解らぬ文章を勝手に更新していきます。何も考えず勝手に適当なことを書いているので、暇なときに勝手に見てください。でも懲りずに。

今まで種種様々な人からこのページに関して意見を頂きましたが、一番多かった批判が、「文字が小せえょ」ということでした。これは、僕もうむ、ごもっともである、と思うのですが、実は意図的というよりも文字サイズの変更の仕方がわからなくなってしまったのです。書いてる僕自身も目を細めて見ることがあるぐらいですから、特に年配の方なんかは(そんな年代の人は見ていないでしょうが)僕以上に目を細めているに違いありません。ここで言っておきたいのは、これは意図的ではないこと、そしてその解決策としてパソコンにはフォントを拡大する機能がついていること(既知の事かもしれませんが)の2つです。キーボードの左下にある「Ctrl」を押しながら、マウスをスクロールすると、文字の拡大縮小ができます。大変お手数ですが、「文字が小せえょ、バカヤロウ」という人は上記の方法でトライして見ましょう。

今は土曜日の午前中です。9月に入ってからすっかり陽が落ちるのがはやくなって、また季節が移り変わってゆくのを感じます。今年の夏は海にも旅行にもいかなかったなぁ、いけなかったなぁ。でも来年は(恐らく無理でしょうが・)タイか中国にいってやろうと密かに企んでいます。
透明でぼやけた匂いを発生する朝の、とても早い時間の空気で起きて、たまった洗濯物をして、ひさしぶりに掃除機をかけて、キッチンをかたし、ゴミをすて、少し前に買ったローズマリーに水をやり、近くでコーヒーを嗜み、急に銭湯いったろかしらと思って銭湯にいったら、値段があがっているのに少しへこんで(今は430円だ)、銭湯の窓から聞こえてくる今にも崩れそうな鉄橋を渡る地下鉄の音がゴンゴン響いている音になんともたまらない哀愁を感じつつ、昼間っから贅沢だななんつってちょっとご機嫌になり、またたまに来たろかしらと思ったりして、一服して今パソコンで文章を書いています(中身のない文章でゴンス)。

文章を書くことが口頭で自分の事を伝えるより楽な僕にとっては、書いているときに聞く音楽はとても重要で、大いにその文章に影響を与えます。サイケデリックな音はサイケデリックな文章になるし、やさしい音は文章もやさしくすると(これは勝手に感じていることですが)思っています。「spangle call lilli line」という日本のバンドが文章を書く時にはぴったりで、アメリカのトモダチが教えてくれました。いつまででも聞ける、自分にぴったりのバンドは中々見つからないものです。だからそういう音は大切にしましょう。

「子供から大人になって得たものはあるが、大人になって失っているものもかならずある。」と、蜷川幸雄はかつてこんなことを言っていました。それは見栄や傲慢さのかけらもない、彼が長い人生を生きてきた中で掴んだ率直な実感のようなものだったのでしょうか。蜷川幸雄が何を指してそんなことを言っているのかわからないけれども、なんだかわかるような気がして、それから、自分でも大人になるとは一体どういうことだろうかと考えてみると、実はこれが想像以上に曖昧なものです。例えば、(なんだかイタイ男ですが)貧乏ゆすりを必要以上にしなくなったこととか、相槌をうまく打てるようになっただとか、学生の頃は「腹ヘリ即間食」というのが当たり前でしたが、それが我慢できること(しかしそのお陰で(?)最近やつれたぞ!、お前は可哀相だ!と同情され、ひえぇ?と不安になったりしている有様である)。ダイエットなる類いのものにも無縁であるし、むしろ忙しくて飯は夜遅いが食欲は旺盛であるし・・ひゃっ!さてはストレスだな。ストレスなのか・・?いや、そうだ。そうに違いない。でもそんなにたまっている感じもしないぞ。いや、でもやっぱりたまっているのか。たまっているのだな。とにかく大人になって身についてしまったこと(つまらない見栄・世間体・かっこつけ・傲慢さ・嘘・無責任)は色々あるでしょうが、一番なくなってしまったのは、「想像力と感受性」ではないでしょうか。僕はそう思います。

中目黒の近所に住む友達がいます。少し前にトモダチのトモダチとして知り合った、暑い夏の日にひび割れたコンクリートの隙間から少しだけ見えてる小さな雑草のような人で、たまに僕の家に来て一緒にギター片手に歌を歌います。他人と同じものを一緒に作っていくというのはとても楽しくて、基本的には「ニンゲンカンケイ」が面倒くさい人間ですが、共通するものが多ければ多いほど「ニンゲンカンケイ」なんか気にならなくなって、とても自然な状態でいれることに気がつきます。「類は友をよぶ」とはよく言ったものですが、結局それは自然な流れの中で、人は集いあうのでしょうか。

うだうだ言っておりますが、忙しいながらもいたって平凡な日々を送っているであります。平凡・平凡といっても仕事の中で少しだけおっ、ちょっと成長したかも・・なんて思えるのは、嬉しいものです。1日1日では見えなくても少しづつでもやっていくというのは、本当に大切であるなぁと痛感しております。


最後に、二つ告知があります。

ブラボー!ファーブル先生(作、演出:平石耕一)

僕の友人で役者をやっているトモダチがいて、9月27日(水)~10月1日(木)までブラボー!ファーブル先生(演出:平石耕一)という舞台に出演します。あのファーブル昆虫記のファーブルの教師時代の話をコメディタッチで描く舞台演劇です。友人はファーブルの弟役で出演します。全席指定で5,000円。是非行けるぜという人がいたら連絡お待ちしております。詳細は下記URLご参照下さい。

http://www18.ocn.ne.jp/~hiraishi/

水道橋ジャニスライブ

9月10日(日)13:00~22:00、5~6人で9時間ライブを決行します。3台のプロジェクターを使って、映像・ペイント・音を使ったインスタレーションライブです。今回のライブはDVDとして録画される予定なので、そちらの方も完成しだい報告します。詳細は書きURLご参照下さい。

http://www.janis-cd.com/


知らないことを求めて
行けないはずの場所に飛んで

戻れないところで泣いて
帰れない世界に落ちる

孤独の中で生きて
孤独の中で死ぬる

何かかたちのないもの
目の前にある見えるもの

無音に潜む爆音が
右手を震わせ 痙攣する

遠い空に思いは浮遊して
今ここには何もない

深く深くどこまでも深い
ピープルという無尽蔵

はきだす言葉は全て真実のようでもあり
全てうそであるような気もする

見えるもの全ては真実のようでもあり
全て虚像であるような気もする

人々にかこまれて逃れて
羨ましげに世界を見る

宇宙にかこまれて慌てて
世界から見下される

つくろわず見栄をはらず
気持ちを真ん中にあつめて

雑念も集中もいっしょくたにする
そうするともっと自由になる

もっと高くまでゆける
思っていた以上のところへゆける

一人で行くのではなく
君と行くのである



さようなら。また何か書きます。

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