numbnessandsuprise

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everyone , shout



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ある人が言う。
「不安なんて、空気に二酸化炭素が混じってるのと同じくらい普通な事であって、小さなことで一喜一憂したり心配で眠れなくなったり。それがあたりまえ。でもみんなそれぞれ自分の思う一生懸命をやってるだけで、それがみな全然違うから面白いんだ。」

「時間と空間は渦をまくようにどんどんとそのスピードを増していくから、その流れに押し流されて自分がどこにいるのかもわからなくなってしまう。ふっと振り返るとそこに見えるのは白く小さな無数の点、引き寄せられあっては消滅して不可思議なカタチを作りながら右往左往している、泡ぶくのようなもの。なんだかそれを目にすると悲しいような嬉しいような、ちょうど100ぐらいの感情がふとい風のように一気にこころに押し寄せてきて、深い香りのする夜の奥のほうで、少しかけている月と一緒にいる。そうすると一度リセットされた体が空気の流れと同じ方向にいこうとしているのがわかって、誰といたいのでもなく自分自身といたくなる。」














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live at shimoktiazawa





10月28日に下北沢でKUALA MUTE GEEK が開催されます。
僕は絵で少しだけ参加します。以下、イベント情報(抜粋)です。

今回はGreg DavisのAutumn Recordsレーベルより、フィールドレコーディングの2枚のCDをリリースしているkorii [Corey Fuller](コリー・フラー)とアントナン・ゴルチェによるサウンドプロジェクトDigiki(ディジキ)、moom 瑠(ムームル)をゲストに迎えます。詳しくは以下のインフォをご覧ください。

=============

Kuala Mute Geek Vol.8


■ 日 時: 2006.10.28(土)開場:19:00  開演:19:15 
■ 出 演: Corey Fuller / opitope / moom瑠 /Digiki
■ 料 金: 当日¥2,000
■ 会 場: 下北沢 アレイホール
http://homepage2.nifty.com/alleyhall/frame.html
■ MORE INFO : http://www.chihei.org/
■ 企画・制作:KUALAUK TABLE


opitopeが主催するミュージシャン同士の交流の場を広げるイベントKuala Mute Geek。今回は、Greg DavisのAutumn Recordsレーベルより、フィールドレコーディングの2枚のCDをリリースしているkorii [Corey Fuller](コリー・フラー)とHATTRICK RECORDSよりデビューアルバムをリリースしたアントナン・ゴルチェによるサウンドプロジェクトDigiki(ディジキ)、竹村延和のレーベルchildiscのコンピレーションに参加し、CLAYよりファーストアル
バムをリリースしたmoom 瑠(ムームル)の3組のアーティストを迎えることになりました。

ワシントン州べリングハム在住のコリー・フラーは、ミュージシャン、オーガナイザー、映画家として活動中でギター、ピアノ、ローズピアノ、グロッケンシュピル、アコーディオン、フィールドレコーディングを含めた様々な生楽器/生音を素材にmax/mspと言ったデジタル環境やアナログ機材で細かく加工した繊細な音楽を提供している。

パリ在住のディジキはMomus、Toog、Helena等のリミックスやコンピレーションの選挙区などで幅広く活動中で、日本人アーティストのコラボレーションも多く、自身のCastellaneも主宰している。

東京在住のmoom 瑠は昨年北九州より活動の場を東京に移し、幻想的かつ、どこか日本人の心の琴線にふれる歌声で今もつとも注目されいる女性ヴォーカリスト。

opitopeは畠山地平と伊達伯欣によるユニットで、2002年頃より活動を開始し、ソロとしては畠山がkrankyよりファーストアルバムをリリース、伊達はspekkのコンピレーションに参加
している。今年の9月には、COMMUN DISKの水をテーマにしたコンピレーションにvalyushka Aka opitope名義で1曲参加している。

さらに今回は、opitopeとその仲間達によるアナログ手法のリアルタイム・プロセッシングの映像をを披露します。イベントの最後には出演者による即興セッションも予定しています。







時間ありそうな人、連絡下さい。
以上、取り急ぎご連絡まで。



アデュー。

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peace




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目の前にある一定の空間に対峙するとき、その圧倒的な広さに戸惑い、それが放つエネルギーに吸い込まれて導かれるように何かを描き出す。描かれたものは一つのこさず全て自分の中にあるもの。自分の中からあふれ出るもの。キャンパスの上には世界への認識と個人の主張が必ず現れていて、フラットな壁の上で無意識に爆発している。

ある作品をみて共感するか嫌悪感をもつか、どちらかであればそれは真剣にその作品を捉えたということになる。何も感じないことの方が多いのではないか。その作品に対して何らかの反応ができるのは一つのスキルであって、そのスキルというのは単純に、描いた人と同じくらいの緊張と集中を持てるか否かということのような気がする。描いた人と同じエネルギーを持ってみないとそのエネルギーはどれもみな頭の上を通り過ぎてしまうような気がする。この作品群を見てそんな事がふわふわと頭に浮かんだ。

for peaceという言葉が現れる。理論や理由はいくらでもつけられるけれど、それもあまり意味がない。僕自身はこの絵の上でfor peaceという言葉が浮かんでる。自分を作品にしてその作品で人を結びコミュニケートする。躍動する被写体とただそこにいる被写体が無限大の人間を肯定しているように見える。人間は自分の可能性の4%ぐらいしか使っていないらしいから。

シンプルな構図がもつ大胆な印象をはらみつつも、その中にオリジナルな存在としての人間が型取られて心地よい。僕は完全な身勝手な解釈をもって「嫌悪感」ではなくて「共感」をえた。




















これらの作品はアメリカにいる友達による、大切な作品です。










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fall, winter, spring, summer,and fall



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◆Thom York - The Eraser-
◆Guther - sundet-

氷から水、水から水蒸気へと”変化”する時、大きなエネルギーを必要とする。人間も同じで新しいことを始める時、新しい自分になろうとする時、そこには大きなエネルギーがいる。でも中々簡単に出せるものでもない。そういう時に、他人が放つ書物や映画や音楽の持つ力は大きい。今までずっと素通りしていたものが、自分自身のアンテナがそういうきっかけを求めている時、そういうものが目の前に現れる。Thom Yorkのアルバムの6曲目、Atoms for Peaceが。

昔からRadioheadの悲壮感を否定する人は多いが、この音は悲観を含みつつも楽観の音を最もシンプルで最も力強い方法で放出する。音楽に対する愛情や自分の感情に対する客観的な反応が、Thom Yorkの音には忠実に凝縮されてる。

6年ぶりのGutherのアルバムはmorr musicから。
以下、URL等、CHECK.

■Radiohead
http://www.radiohead.com/

■Thom York
http://www.theeraser.net/Stage4UK/

■Guther
http://www.guthermusic.de/




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gunma



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群馬という場所に約6年ぶりに訪れて、改めて日本は山国なのだなと気付かされる。刈りどき真っ盛りの稲が放つ懐かしい香りと、遠くに見える山々の所々にかかる霧がはれると、山の一つ一つが持つ線の輪郭が見えて、綺麗な曲線が浮かび上がる。

田園風景の中にぽっかりと浮かぶ赤城山はその中でも飛び抜けて神々しく堂々として、僕達の雑念もかき消してくれているようでなんとも不思議な気持ちになる。富士山もそれだけをみると気がつかないが、周囲の山と見比べてみるとどれだけ特別な輪郭を持っているのかがわかる。遥か昔から日本人がその曲線に魅せられたように山々は今でも特別な存在だ。

赤城山の中に佇む大沼といわれる小さな沼に着いて車から降りると、そこは冷凍庫の中のような寒さだった。朱色の細い橋をはさんだ向こう側には砦のようなものがあって、小さな神社があるが寒すぎてとてもそこまではいけなかった。霧が沼のすぐ上まで降りてきて、なんとも異様な風景で、神隠しにあいそうな恐ろしさがあった。なんだか人が入り込んではいけない場所のような気がしてきて、すぐさま車を走らせた。

その日は見事な満月だった。途端にだんごが食べたくなるほどにパーフェクトな円をみせてくれた。周囲の木々に群がる鈴虫が鳴いて、すこし冷たいぐらいの秋風が吹いて、ただっ広い大地全体に月のあかりが反射して電灯なんていらないくらいだ。

赤城山の麓にある友人の家に泊めてもらった。夜はそれはそれは静かなこと極まりなく、何もせず座っていると自然と目がトロトロしてきて眠たくなる。昼か夜かよくわからん生活を送っているとわからない自然のチカラみたいなものを体で感じる。東京で住むよりも邪念は少ない。一つ一つの行動に誠実に、丁寧な時間をすごす。例えば好きな時間に欲しいものを手に入れられて、いつでも誰かと連絡をとれる環境にいると、逆につながりが希薄になったりリズムを保てなくなったりするものだ。

中目黒から新町という駅まで2時間かけて辿り着いて、1泊だけして帰った。それ以上に長い時間をすごして、大きいエネルギーに触れた。









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live performance



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9月10日(日)に水道橋JANISにてインスタレーションライブをしました.プロジェクターを3台使った映像を3メートル強の長さの白い布に写して、その下で演奏するスタイリーかつアバンギャルドな手法で、セットを組む前のそれとは雰囲気も空気もまったく違うものになって、あぁ、セッティングでこんなにも変わるんだなぁと、一緒にいたメンバーの才能に脱帽するばかりであったのだった。実際には少々のトラブルでセッティングに時間がかかってしまったものの、結果的には大成功&大満足のライブで、特筆すべきは白い布いっぱいに広がる巨大な映像群であーる。花火や祭りや電車の風景がループして飛び交うその空間は異様なまでの静けさを演出するので、音を出す側も「静寂な音」にイメージをこめることが要求された(矛盾しているようだ・・)。ただ、演奏者同士の距離って意外に大事だなと思ったりして、やはり次はどうくる?とか今、どんな感じだ?なんてものを感じ取るには、やはり近いほうがいいし、コミュニケーションがとりやすかったりする。お互いに意識しなけりゃいかんと強く痛感させられたのであっ、た。

観客はそのほとんどがCD屋から流れてきた人で、ちょっと見て帰るものあり、長い間見るものあり、けっ、と言って笑いながらそそくさと帰るものありと多種多様なレスポーンスであったけれども、演者は皆、表情から、各々は楽しかったであろうと推測されるので、それであったらもっと多くの人と共有できればよかったなと、つくづく思うばかりであった。ひとつ思うことは・・クーラーききすぎだっっ。音を出すのはどういうことなのかというと(表現することに共通することであるけれど)恐らく2つあって、ひとつはあるオリジナルなオモイやシュチョウがベースにあること、二つめは無条件で音を出したいという欲求があること。この2つがあると聞いていて面白い音楽になるはずで、このオリジナルというところが最も重要なところであって、それを形にするまでは中々時間がかかるものであるね。













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