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細江英公
hosoe eikoh

独自の性美学の追求、三島由紀夫との共作「薔薇刑」、反体制的な激情を背景にした1960年「おとこと女」など。写真界の異端児として常に未曾有の挑戦を続けてきた写真家。写真芸術を“写真家と被写体の関係による芸術”と定義し、すべてを肯定する写真をとり続けてきた。作品中の衝撃的なインパクトの数々はそこにタブーがないからだ。細江独自の写真哲学は球体写真二元論として表現されている。写真が持つ最大の強みは、精密描写の記録性である。ただそこに介入する主観(自己表現)と客観(記録性)が和合することがない、という考え方の中で、多くの写真家が行き詰まった。そこで細江は主観と客観を球体の北極と南極として、その球体のどこにいてもそれはまったくの自由であると各々がその両極端から好きな距離を保って、最も住みやすい所に住む事によって、豊かな多様性と表現の可能性が生まれると結論した。細江の作品、神々しいまでに人間が光輝に見える。鮮やかな景色の中で、死の気配が漂う。特に三島由紀夫を被写体とした作品には、三島の人物像をいかに映像化するかに焦点を絞る、結果毒々しいまでの内側の葛藤が映し出されている。写真の歴史は160年と他の芸術に比べて歴史が浅い。この事実をもって細江は未来の写真芸術の可能性を示唆し、更にどこまでも発展していくとインタビューの中で断言している。また写真には愚直さと修練が不可欠であって、“いま”に生きている者にしか撮れない“いま”を大切に凝視する事の大切さを語っている。全てを肯定する写真、それは細江の切実なまでの生の探求に他ならない。

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