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2006-1to2



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from left
神の子どもたちはみな踊る 
ハゴロモ
言い難き嘆き持て



神の子ともたちはみな踊るから

「三宅さん、火のかたちを見ているとさ、時々不思議な気持ちになることない?」
「どういうことや?」
「私達がふだんの生活ではとくに感じてないことが、変なふうにありありと感じられるとか。なんていうのか、アタマ悪いからうまくいえないんだけど、こうして火を見ていると、わけもなくひっそりとした気持ちになる。」
三宅さんは考えていた。「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。順ちゃんが火を見ててひっそりとした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや。そういうの、わかるか?」
「うん。」
「でも、どんな火でもそういうことが起こるかというと、そんなことはない。そういうことが起こる為には、火のほうも自由やないとあかん。ガスストーブの火ではそんなことは起こらん。ライターの火でも起こらん。火が自由になるには、自由になる場所をうまいことこっちでこしらえたらなあかんねん。そしてそれは誰にでもできることやない。」



ハゴロモから

自分の薄い肌の下に息づくしくみが、目の前に大きく広がる全てとそう変わりはないのだと実感できる気さえする。壮大な考えとみみっちい心配の全てがこの景色のように無造作に、でも美しい秩序を持って存在している。そして、これが私に見える世界だ、でもほんとうはもっともっと大きいものに違いない、そういうどきどきした気持ちになる。川の流れを見つめていると、ただそうしているだけで無限に何かを蓄えている感じがする。川辺で触れ、見ることができる全てのものが私の肉体や魂に活気を与え、充電しているのをカラダで感じる。地面から、空の色から、見渡せる町の光や車や、そういった全て、人々の生きていく営みの活気や、草の色や、小さな生き物たちや、流れていく巨大な雲。かすかに聞こえてくる音が耳に響く様子・・・きっとそれぞれの町でそれぞれの人間が、それぞれの場所からもたらされる特別でありながらも平凡なそういう癒しを受け取りながら、この世界を生きているのだろうと思う。



言い難き嘆き持てから

実は私は、一人の人間が精神の苦しみから回復するには、それが本当の苦しみであればあるほど、当人にそなわっている自立した力を頼りにするほかない、と考えてきました。たとえいかに近い関係でも、他の人間はその自力による回復を希求し、分をわきまえて励ますほかはないと、痛みをともなわなかったのではない経験から知っているのです。自分においても、大切な友人たちについても、それはすでに成熟した知性の大人についてもそうです。










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