気が付いたら、ずいぶんと時間に流されていることに気がついて、少しそわそわした気持ちになった。写真に映し出されたとてもとても遠い昔の、見たこともない自分の姿を見ると、ここに今流れているものはそのそれとは、全く違うものであることを感じざるをえなかった。ただそれは誰にでもそしてどの時代にもあてはまることで、何ひとつおかしいことではないはずなのに、なんだか透明な実感もなく、憂鬱で、ただただその事実に立ち尽くしてしまっている気分だ。
気持ちは場所を変えてもぐらぐら揺れて、揺れているのもわからないぐらい背中を押される時間もあるが、その瞬間瞬間は全く違う生命が躍動しているのだ。情熱や希望がなくとも、無尽蔵な僕達はそのままで発熱し、光を帯びて、今この瞬間、その場所にたっている。
世界との距離はどんどん縮まっていくようで、実は恐ろしいスピードで大きくなっている。「知らない」ということを「知る」ことによって無限大に広がっているのを感じる。そういう一人だけの感覚と感情は、意識的に伝えなければいけないような気がするのだ。
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